1.はじめに
近年、気候変動の影響により猛暑日が増加し、職場での熱中症による労働災害が深刻化しています。特に2024年(令和6年)には、熱中症による休業4日以上の死傷災害が1,195人と、調査開始以来最多を記録しました。死亡者数も3年連続で30人を超え、労働災害による死亡者の約4%を占めています。多くの事例では、初期症状を見逃したり、対応が遅れたことが重症化や死亡に直結しており、現場での早期発見と迅速な対応体制の整備が喫緊の課題となっています。こうした背景を受けて、厚生労働省は法令を改正し、事業者に対して具体的な熱中症対策の義務を課すことに踏み切りました。
この記事では今回改正された、職場における熱中症対策義務化に企業はどのように対応すべきかを、具体的かつ分かりやすく解説していきます。
2.結論:何が義務付けられたの?
今回の労働安全衛生規則改正により、事業者に課される義務は大きく分けて2つあります
「みつける」、「判断する」、「対処する」という基本的な考え方のもと、現場の実態に即した具体的な対応として次の2つのことが義務付けられました。
1つめは、「報告体制の整備と周知」です。熱中症が疑われる場合に備えて、報告先・連絡方法を含む体制を整備し、それを作業者に周知すること(改正安衛則第612条の2第1項)です。
2つめは、「必要な措置および手順の作成と周知」です。熱中症が疑われる者をみつけたら、作業離脱、身体冷却、医師の診察など、熱中症の悪化を防ぐために必要な措置とその手順を作業場ごとに定め、作業者に周知すること(改正安衛則第612条の2第2項)です。
この2つの義務を通じて、事業者は熱中症の予防と重篤化防止を図る責務を負うことになります。詳細は後述します。
3.そもそも熱中症とは
熱中症とは、高温多湿な環境で体内の水分や塩分(ナトリウムなど)のバランスが崩れたり、体温調節機能がうまく働かなくなることで起こる健康障害の総称です。体がうまく汗をかけなかったり、水分を補えなかったりすると、体温が異常に上がり、さまざまな症状を引き起こします。
たとえば、炎天下での作業中に「ふらつく」「めまいがする」「大量に汗をかく」といった症状が出た場合、それは熱中症の初期段階のサインです。この段階で休憩や水分補給を行わずに作業を続けると、「頭痛」「吐き気」「脱力感」といった中等度の症状が現れるようになります。さらに重症化すると「意識がもうろうとする」「けいれんが起こる」「体が熱くて触れないほどの高体温」など命に関わる状態に至ることもあります。
屋外での建設作業や倉庫での荷物の積み下ろし作業など、特に体を使う仕事ではリスクが高くなりますが、屋内でも換気の悪い環境や空調のない場所では熱中症は十分に起こりえます。
つまり熱中症は、誰にでも起こりうる予測可能な災害であり、正しい知識と適切な対策によって防ぐことができる健康リスクです。
4.熱中症対策の必須知識:WBGTとは?
WBGT(湿球黒球温度)とは、暑さによる身体への負担(熱ストレス)を評価するための指標です。単なる気温だけでなく、「湿度」「輻射熱(地面や壁からの熱)」「風の有無」といった複数の要素を組み合わせて算出されます。例えば、気温が同じ30℃でも、湿度が高く風がない場所では汗が蒸発しにくくなり、体温が上がりやすくなるため、WBGTは高くなります。逆に風がある日陰なら同じ気温でもWBGTは低めになります。
職場での熱中症リスクの判断には、このWBGT値を使うことが推奨されており、「28℃以上」になると熱中症の危険性が高まるとされます。WBGT計を使えば簡単に測定でき、熱中症対策の判断材料として非常に有効です。
4-1.WBGTをつかった熱中症リスクの見える化
WBGTは、暑さによる人体への負荷を評価するために使われる指標です。単なる気温ではなく、「湿度(自然湿球温度)」「輻射熱(黒球温度)」「気温(乾球温度)」の3つを組み合わせて計算します。屋内や日陰では「WBGT=0.7×湿球温度+0.3×黒球温度」、屋外では「WBGT=0.7×湿球温度+0.2×黒球温度+0.1×乾球温度」が使われます。これにより、実際の作業環境が人体にどれほどの負担を与えるかを数値で把握でき、熱中症対策の基準として活用されます。
4-2.WBGT基準値で把握する作業強度ごとの注意ライン
WBGTの基準値は作業の強度(代謝率)と、労働者が暑さに慣れているか(暑熱順化)によって異なります。たとえば、軽作業で暑さに慣れていない人の基準値は29℃、中程度の作業では26℃、重作業では23℃とされています。暑さに慣れている人でも、それぞれ1℃程度高い値が基準になります。これらの基準値を超えると、作業時間の制限や休憩の強化、水分補給の徹底などが必要です。WBGT値が31℃以上の場合、危険なレベルとされ、作業の中止を含めた厳格な対応が求められます。
4-3.着衣の影響を加味したWBGTの補正
WBGT値は衣類の種類によって実際の体感とはズレが生じるため、「補正値」を加算する必要があります。たとえば、一般的な作業服は補正不要ですが、不織布のつなぎ服であれば0.5℃、防護性の高い服(蒸気不浸透性など)では最大で11℃も補正が必要になる場合があります。たとえば、WBGTが28℃であっても、防護服を着て作業する場合は39℃相当の環境になる可能性があり、その場合は「作業中止」レベルの判断が必要となります。
4-4.WBGTの実測と計測機器:現場での把握
WBGT値を現場で正確に把握するには、専用のWBGT計を使用します。測定機器は、日本産業規格(JIS)に準拠したものを使用することが推奨されており、具体的には以下の2つの規格です。
① JIS Z 8504:暑熱環境下での労働者の熱ストレス評価方法を示した指針
② JIS B 7922:電子式WBGT計の性能や精度、試験方法などを規定
これらのJISに適合したWBGT計は、湿球温度・黒球温度・乾球温度を自動測定し、WBGT値を計算して表示します。機器には据え置き型や携帯型があり、作業現場の条件に合わせて選択可能です。
現場では、作業場所と時間帯ごとにWBGTを測定することが重要となります。日射や風の有無によりWBGTは大きく変化するため、1日に複数回の測定が推奨されます。屋内でも空調の有無や換気の状態によって値が変動するため、継続的にモニタリングすることが求められます。測定結果は記録し、作業者にも共有することで、職場全体の熱中症予防意識を高める効果も期待できます。
4-5.実測したWBGT値が基準値を超えている、または超えそうな場合の対策例
現場で実測したWBGT値が基準値を超えそうな場合、または実際に超えた場合、事業者は多面的な対策を講じる必要があります。対策は主に「作業環境管理」「作業管理」「健康管理」「労働衛生教育」の4つに分けられます。
まず【作業環境管理】では、WBGT値の低減が基本となります。直射日光を防ぐために遮熱シートや簡易屋根を設置し、通風や冷房設備を整備することで熱を外に逃がします。冷房付き休憩場所の確保も重要で、労働者が「足を伸ばして横になれる」広さを持つスペースや、水風呂・冷たいおしぼりなど身体を冷やす設備も設けるべきです。
【作業管理】においては、「暑熱順化」が大切です。新たに高温作業を始める従業員には、徐々に作業時間を増やすことで環境への適応を図ります。また「水分・塩分」の定期的な補給が必須で、スポーツドリンクなどを20~30分ごとに摂取させます。さらに、「服装」には透湿性・通気性の高い衣類を選び、帽子や冷感ベストの使用も効果的です。作業中は「巡視」を強化し、体調の変化や脱水症状がないか頻繁に確認する必要があります。
【健康管理】では、「健康診断結果」を活用して、糖尿病や高血圧など熱中症リスクの高い人を把握し、必要に応じて就業場所を変更します。「日常の健康管理」についても、睡眠不足や朝食抜きなどがリスクとなるため、生活習慣の改善指導を行います。「健康状態の確認」は作業前と作業中に行い、特に作業前のチェックは熱中症予防の第一歩です。また、「身体状況の確認」として、休憩所に体温計や体重計を設置し、体調変化を見逃さない工夫も必要です。
【労働衛生教育】では、熱中症の症状や予防方法、緊急時の対応について、管理者と作業者の両方に教育を行うことが求められます。過去の事例や救急処置も交えて教育することで、現場での迅速な対応が可能になります。
こうした対策を総合的に講じることで、熱中症の発生を未然に防ぎ、万一の際にも重症化を防ぐ体制を整える必要があります。
5.熱中症対策における事業者の義務
冒頭でもご説明したとおり、今回の法改正で熱中症対策として事業者に課される義務は、その①「報告体制の整備と周知」と、その②「必要な措置および手順の作成と周知」です。ここでは2つの義務の中身を深掘りします。
5-1.その①「報告体制の整備と周知」とは?
まず「報告体制の整備」とは、現場で熱中症が疑われる症状(めまい、ふらつき、異常な発汗、意識のぼんやりなど)を従業員自身や同僚が感じた・見かけた場合に、すぐに管理者へ報告できる仕組みを作ることです。具体的には、連絡先(責任者の氏名と電話番号)を掲示し、誰が・どのように報告するかを明確にします。
報告を受ける管理者は、迅速に対応できるよう現場近くに配置したり、定期的に巡回することが望ましいです。加えて、バディ制(作業員を2人1組にして互いの体調を見守る)や、ウェアラブルデバイスを使った体調管理の導入も有効です。
さらに、ただ体制を整えるだけでは不十分で、「周知」も欠かせません。朝礼やミーティングでの説明、掲示板への張り出し、マニュアルの配布などを通じて、全従業員が報告先や手順を正しく理解している必要があります。口頭説明だけでは伝わらないこともあるため、文書などの形で残すことが効果的です。
とはいえ、企業としてはそこまで難しく考える必要もありません。まずは、「異常があればこの人にすぐ連絡する」というシンプルな体制を作り、それを従業員全員にきちんと伝えること、これだけです。
5-2.その②「必要な措置および手順の作成と周知」とは?
事業者は熱中症が疑われる場合の「対応手順」を作成し、従業員に周知することが義務づけられました。
これは、万が一の事態に迅速かつ適切に対応し、従業員の命を守るために極めて重要な取り組みです。
では、具体的に何をすればよいのでしょうか。まず「手順の作成」とは、熱中症の兆候が見られたときにどのように対応するか、段階的に整理することです。たとえば、「1. 作業を中断し、涼しい場所に移動」「2. 作業服を緩め、冷却を開始(濡れタオル、ミスト、冷風機など)」「3. 水分・塩分を補給させる」「4. 回復しない場合は医療機関に連絡または救急車を要請」といった流れを、簡潔なフローチャートや文書で作成します。
次に「周知」とは、その手順を従業員に分かりやすく伝えることです。張り紙やマニュアル、朝礼での説明などが効果的です。特に重要なのは、熱中症が発生する前に、誰が、どの場面で、何をすべきかを全員が理解している状態を作ることです。場当たり的な対応ではなく「あらかじめ」決めておくことで、急な事態でも迷わず行動できるからです。
また、手順には緊急連絡先(病院、責任者、救急対応の担当者)を明記しましょう。連絡網を作って掲示しておくと安心です。さらに、作業後の体調変化にも注意が必要で、回復後に症状が再び悪化するケースもあります。そのため、「症状が再発した場合の連絡先」や「作業後の注意点」も手順に加えておくと万全です。
中小企業では、専門的なマニュアルを作るのは難しいかもしれませんが、ポイントを押さえた簡易なマニュアルやチェックリスト形式でも十分です。(このブログの最後に無料のひな形入手方法をご案内しています)大切なのは、事前の備えと全員の共通認識です。
厚生労働省の統計によれば、重篤な熱中症のほとんどは、初期症状の放置や対応の遅れが原因とされています。だからこそ、今できる対策を確実に講じておくことが、企業の責任であり、従業員への最大の配慮となります。
6.熱中症対策が義務となる基準
事業者に熱中症対策が義務付けれるのは、WBGT値が28℃以上または気温31℃以上の環境で、1時間以上または1日4時間超の作業を行う場合です。なお、これは定常作業だけでなく、臨時や出張作業中も含まれます。
7.義務に違反した場合の罰則
事業者には、熱中症対策として義務付けられています。これらを怠った場合、6か月以下の懲役または50万円以下の罰金という、労働関係法の中でも比較的重い罰則が科される可能性があります。
死亡したり障害が残るなどの重大な熱中症災害にいたった場合は、事業者が書類送検されることは決して稀ではなく、罰金以上の刑が確定すれば「前科」が付きます。前科により、公共工事の入札資格を失うなどの不利益が生じるため、実効性ある熱中症対策の実施が強く求められます。怠慢による健康被害を防ぐ観点からも、義務の履行は極めて重要といえます。
8.まとめ
2025年6月以降、熱中症対策はすべての事業者にとって必須です。義務の履行はもちろん、万が一の事態を防ぐためにも、本格的に暑くなる前に対策を整えることが重要です。対応策の検討と体制整備、連絡網の構築、対応フローチャートやマニュアル、社内規定、チェックリスト、ポスターやカードの掲示、WBGT測定機の選定など、今からでも準備可能です。
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