最低賃金大幅アップに企業がとるべき対応

はじめに

ここ数年間で最低賃金は着実に上昇していますが、今年の最低賃金改定答申では、昨年に引き続き過去最大の引き上げ幅が示されました。
最低賃金の上昇は、従業員の生活水準の向上や消費の拡大につながる一方で、企業には人件費の増加や収益性の低下といった課題が待ち受けています。特に、中小企業や労働集約型の産業では、その影響が大きいといえるでしょう。
本記事では、最低賃金の大幅な引き上げの背景や影響をふまえた上で、企業がとるべき具体的な対応策や活用できる助成金・補助金について解説していきます。

今年の最賃改定答申の状況

2024年7月24日、厚生労働省の中央最低賃金審議会は、2024年度の地域別最低賃金の引き上げ額を全国加重平均で50円(5.0%)とする答申を行いました。この引き上げ額は、過去最大となり、全国平均で1054円に達する見込みです。
この答申をうけ、各都道府県の最低賃金審議会で具体的な金額が決定されます。新たな最低賃金は、各都道府県別に10月1日から10月中旬までの間で順次適用される予定です。

 

最賃大幅引き上げの背景

今回の最低賃金の大幅な引き上げには、いくつかの背景があります。まず、政府がかかげる「新しい資本主義」の一環として、分配の改善や賃上げが重要な課題として位置づけられていることが挙げられます。また、日本の最低賃金は、他の先進国と比較して低い水準にあり、この格差を縮小することが求められてきました。加えて、物価上昇が続くなかで、労働者の生活水準を維持するための措置が必要とされました。特に、2024年の春季労使交渉では賃上げ率が平均5.1%と高水準であり、これが最低賃金の大幅引き上げにも影響を与えています。
こうした背景をうけ、政府は最低賃金の引き上げを通じて、労働者の所得増加と消費の拡大をはかり、経済の好循環を実現しようとしています。同時に、実質賃金のマイナスを解消することで、国民の生活の安定と向上をめざしています。

今後の動向

最低賃金の大幅な引き上げは、今後も続く可能性が高いと考えられます。岸田内閣は2030年代半ばまでに最低賃金の全国加重平均を1,500円とすることをめざす方針を表明しています。これは、賃上げを重要な政策課題と位置づける岸田内閣の姿勢を明確に示すもので、今後も最低賃金の引き上げが積極的に推進されていくことが予想されます。
加えて、国際的には、日本の最低賃金の水準は依然として低く、先進国との格差を縮小するためにも、継続的な引き上げが求められる状況にあります。
こうした要因から、今後数年間は、最低賃金の大幅な引き上げが続くと予測され、企業はそれに適切に対応していく必要があります。

最賃改定の影響

最低賃金の上昇は、特に、中小企業や労働集約型の産業では、その影響が大きいといえるでしょう。次に最低賃金の上昇により生じることが想定される影響についてみていきます。

採用時賃金の上昇

最低賃金の大幅な引き上げは、企業の採用時賃金設定に直接的かつ重要な影響を与えます。現実的には、多くの企業が最低賃金ぎりぎりでは人材を確保できないことを認識し、すでに最低賃金にプラスαの金額で求人賃金を設定しています。
例えば、現在の最低賃金が941円で、ある企業が採用時賃金を1,000円に設定しているとします。最低賃金が991円に引き上げられた場合、この企業は新入社員の賃金をさらに引き上げ、例えば1,050円に設定するなど、最低賃金を上回る魅力的な条件を提示する必要があるでしょう。
このように、企業は採用時の賃金設定を見直す際、単に改定された最低賃金をクリアするだけでなく、労働市場での競争力を維持するために、さらに一定の上乗せを行わざるを得ません。

在籍者賃金の上昇

最低賃金の大幅な引き上げは、新規採用者の賃金だけでなく、既存の従業員(在籍者)の賃金にも影響を与えます。最低賃金の引き上げにより、現在の賃金が最低賃金を下回る従業員の賃金を引き上げる必要があります。
さらに、最低賃金の引き上げ後も、賃金格差の維持や従業員のモチベーション確保のために、最低賃金より高い賃金を受け取っている従業員の賃金も引き上げることが求められます。
例えば、現在の最低賃金が941円で、ある程度経験を積んだ従業員の賃金が1,100円だとします。最低賃金が991円に引き上げられた場合、この従業員の賃金も1,150円程度に引き上げることが望ましいでしょう。
このように、最低賃金の引き上げは、在籍者全体の賃金水準上昇につながるため、企業は人件費の増加に対応する賃金原資が必要となります。

従来の賃金カーブが保てなくなる

従来、多くの企業では、経験や能力に応じて賃金が段階的に上昇する賃金カーブを設定してきました。しかし、最低賃金の引き上げによって、この賃金カーブを維持することが困難になります。例えば、現在の最低賃金が941円で、新入社員の賃金が950円、1年目の賃金が1,000円、2年目の賃金が1,050円という賃金カーブを設定している企業があるとします。最低賃金が981円に引き上げられた場合、新入社員と1年目の従業員の賃金がほぼ同じになってしまいます。このような状況では、企業は賃金カーブを見直し、経験や能力に応じた賃金格差を確保するために、全体的な賃金水準の引き上げを検討する必要があります。これは、人件費の大幅な増加につながるため、企業は慎重に対応策を検討しなければなりません。

 

昇給原資の不足

最低賃金の大幅な引き上げは、従来の賃金カーブを維持することを困難にするだけでなく、昇給原資の不足にもつながります。企業は、最低賃金の引き上げに対応するために、賃金の底上げを行う必要がありますが、これには多くの資金が必要となります。
その結果、従来の賃金カーブを維持しつつ、全体的な賃金水準を引き上げるための原資が不足する可能性があります。特に、中小企業や労働集約型の産業では、人件費の増加が経営を圧迫し、昇給原資の確保が難しくなるでしょう。

中小企業の対応

こうしたさまざまな課題に中小企業としてはどのように立ち回るべきでしょうか。次に中小企業が取り得る現実的な対応策についてみていきます。

最賃計算に含まれない手当を基本給に組み入れる

最低賃金の大幅な引き上げに対応するためには、昇給原資をどのように確保するのか検討が必要になります。昇給原資の調達が難しい企業にとって、対応策のひとつとして、最低賃金の計算に含まれない手当を基本給に組み入れることが考えられます。
例えば、家族手当や精皆勤手当などは、最低賃金の計算に含まれません。これらの手当を基本給に組み入れることで、最低賃金の引き上げに対応しつつ、賃金の底上げを図ることができます。
ただし、この方法を採用する際は、従業員の実質的な賃金が変わらないか、少しでも増加するよう配慮する必要があります。さらに、十分な準備期間を設け、事前に従業員へていねいに説明することで、円滑な移行を図ります。また、企業としては、家族手当を基本給に組み入れる場合は、残業単価の上昇も考慮に入れる必要があります。
昇給原資の調達が難しい企業は、従業員の理解を得ながら、慎重に賃金体系の見直しを進めていく必要があるでしょう。最低賃金の引き上げに対応しつつ、従業員のモチベーションを維持することが重要となります。

賞与原資を基本給に配分する

昇給原資の調達が難しい企業が取り得る対応策の別案として、賞与原資を基本給に配分することが挙げられます。賞与原資の一部を基本給に振り向けることで、賃金の底上げを図ることができます。
例えば、年間の賞与支給額が60万円の企業が、その20%を基本給に配分すると仮定します。この場合、月々の基本給は1万円(60万円 × 20% ÷ 12ヶ月)増加することになります。
ただし、この方法を採用する際は、従業員のモチベーションへの影響を考慮する必要があります。賞与が減少することで、従業員の士気が低下する可能性があるためです。企業は、賞与制度の見直しについて、従業員との十分な話し合いを行い、理解を得る必要があります。

商品・サービスを値上げする

企業が取り得る対応策として、商品やサービスの価格を引き上げることが考えられます。
現在は企業が調達するさまざまなモノやサービスの価格が上がっていますが、これに加えて人件費は多くの企業にとって大きな負担となるため、その増加分を商品やサービスの価格に転嫁することで、収益性を維持することは非常に重要な経営判断となります。もちろん、値上げを行う際は、市場の競争環境や顧客の価格感度を十分に考慮する必要があります。
値上げの幅や時期については、自社の経営状況や業界動向をふまえて慎重に判断することが重要です。また、値上げの理由について、顧客に丁寧に説明することも欠かせません。原材料費等の高騰や最低賃金の引き上げに伴う人件費の増加が、値上げの主な要因であることを明確に伝えることで、顧客の理解を得やすくなるでしょう。

 

省力化投資を行う

省力化投資とは、生産工程や業務プロセスの自動化・効率化を図るために、設備や技術に投資することを指します。例えば、工場におけるロボットの導入や、オフィスにおけるRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)や、AI(人工知能)の活用などが該当します。
省力化投資を行うことで、人件費の上昇を抑制しつつ、生産性を向上させることができます。また、自動化・効率化により、従業員の作業負担を軽減し、より付加価値の高い業務に注力できるようになります。

 

従業員の教育訓練を行う

教育訓練を通じて、従業員のスキルアップを図ることで、生産性の向上や付加価値向上につなげることができます。また、多能工化を推進することで、人材の柔軟な配置や業務の効率化を実現できます。
例えば、技術研修や資格取得支援などを通じて、従業員の専門性を高めることができます。また、問題解決能力やコミュニケーション能力などの汎用的なスキルを底上げさせることで、業務の質の向上や円滑なチームワークの形成につなげることができます。
教育訓練は、従業員のモチベーションや定着率の向上にも寄与します。自己成長の機会を提供することで、従業員の仕事に対する満足度を高めることができるからです。

使える助成金・補助金

 

業務改善助成金

業務改善助成金は、中小企業・小規模事業者が生産性向上のための設備投資等を行い、事業場内最低賃金を引き上げた際に、その費用の一部を助成する制度です。対象となる労働者は全従業員ですが、事業場内最低賃金と地域別最低賃金との差額が50円以内の事業場のみを対象としています。助成率は引き上げ前の事業場内最低賃金に応じて3/4~9/10で、上限額は30万円~600万円です。設備投資や人材育成等の費用に適用され、賃金引き上げと併せて実施することが条件です。

キャリアアップ助成金(賃金規定等改定コース)

キャリアアップ助成金の賃金規定等改定コースは、非正規雇用労働者の基本給を3%以上増額する賃金規定の改定を行った事業主に支給される助成金です。対象労働者は有期雇用労働者、短時間労働者、派遣労働者で、正社員は対象外です。助成額は中小企業で3%以上5%未満の昇給で5万円、5%以上で6万5,000円、大企業ではそれぞれ3万3,000円と4万3,000円です。この助成金の特徴は、1回限りではなく、何回でも活用できる点です。例えば、昇給時期を毎年の最賃改定と合わせて9月等に設定し、最賃が改定される直前で賃金テーブルを書き換えることで、毎年この助成金を活用することができます。
また、職務の大きさに応じた処遇を行うと中小企業で20万円、大企業で15万円が加算されます。

人材開発支援助成金

人材開発支援助成金は、さまざまなコースがあり、その内容も多岐に渡りますが中小企業でも実施のハードルが低く、使いやすいコースとして、「人への投資促進コース」や、「事業展開等リスキリング支援コース」に設定されている、「定額制訓練」がおすすめです。
「定額制訓練」は、サブスクリプション形式で提供される幅広い内容の訓練に対する助成制度です。中小企業は経費の60%、大企業は45%が助成されます。賃金助成はありませんが、企業規模に関わらず年間上限2,500万円まで利用可能です。対象は雇用保険被保険者で、1人当たり年間計画時間が10時間以上必要です。デジタルスキルやIT能力の向上など、多様な学習ニーズに対応し、柔軟な人材育成を支援します。

IT導入補助金

IT導入補助金は、中小企業・小規模事業者のITツール導入を支援する制度です。会計ソフトや受発注システムなどのソフトウェア、PC等のハードウェアが対象となりますが、汎用品のみの購入は対象外です。補助率は1/2~4/5で、補助額は5万円~450万円です。通常枠、セキュリティ対策推進枠、インボイス枠、複数社連携IT導入枠があり、申請には「みらデジ経営チェック」の実施が必要です。生産性向上やDX推進、インボイス対応などの目的で活用でき、IT導入支援事業者のサポートをうけて申請します。

教育訓練給付金(従業員向け)

教育訓練は会社主導で行う場合と、労働者が自ら自己啓発ために行うケースがあります。
いずれも、従業員のスキルアップの結果、業務効率や生産性、付加価値を高める効果が期待できます。教育訓練給付金は、雇用保険加入者のスキルアップを支援する制度です。一般、特定一般、専門実践の3種類があり、厚生労働大臣指定の講座を受講・修了した場合に支給されます。一般は受講費用の20%(上限10万円)、特定一般は40%(上限20万円)、専門実践は70%(年間上限56万円)が支給されます。なお、2024年10月からの改正では、特定一般教育訓練の給付率が40%から50%に引き上げられ、年間上限も20万円から25万円に増額されます。また、専門実践教育訓練では、給付率が70%から80%に引き上げられ、年間上限も56万円から64万円に増額されます。
対象者は原則3年以上の被保険者期間が必要ですが、初回利用時は1年(専門実践は2年)以上で可能です。ハローワークで申請し、キャリアアップや再就職支援に活用できます。

まとめ

最低賃金の大幅引き上げは、企業に人件費増加や収益性低下といった厳しい状況をもたらします。対応策として、賃金体系の見直し、省力化投資、従業員教育、価格転嫁などが考えられます。また、各種助成金や補助金など、活用可能な支援制度が存在します。企業は、これらの対策を総合的に組み合わせて、生産性向上と従業員のモチベーション維持を両立させることが求められます。最低賃金の大幅な引き上げは今後少なくとも10年程度つづくことが想定されますので、中小企業は長期的視点での戦略立案と環境変化への対応が必要です。