中小企業の賃上げ動向と対応策

はじめに

日本は1990年代以降、賃金の上昇率が先進諸外国と比較して飛び抜けて低いという不思議な傾向が続いていました。

引用:厚生労働省 令和4年版労働経済の分析

そんななか、昨年から急激な賃上げ傾向が始まり、特に中小企業経営への影響が大きくなっています。賃上げの要因はさまざまですが、中小企業は現実に起こっているこの状況に対応していく必要があります。賃上げ動向や環境変化を冷静に捉えつつ、過去のやり方にこだわらない思い切った方針の転換、国の支援策の有効活用がカギになります。

この記事では、現在起こっている急激な賃上げの状況と、今後予想されること、国の支援策の活用方法についてみていきたいと思います。

春闘・物価・有効求人倍率の動向からみる賃金上昇の特徴

春闘の状況

今年の春闘は、33年ぶりに5%を超える賃上げ率となる見込みで非常に注目されています。こうした大企業の賃上げに追随する形で、中小企業でも4.5%に近づく勢いで賃上げが広がっています。賃金上昇の動きは正社員だけでなく、パート・アルバイトにも及んでいます。ここ数年の春闘における賃上げ状況をみると、2020年から2022年までは2%前後で推移し、昨年2023年から大きく上昇し3.6%となり、今年は5%を超える賃上げが見込まれています。ここ5年間の主要企業の賃金上昇率は累計で11%を超えています。

物価上昇と実質賃金

日銀が3月19日の金融政策決定会合で、マイナス金利政策の解除を決め17年ぶりに利上げに踏み切ったことが話題になりました。利上げに踏み切った理由として、「賃金の上昇と物価の上昇が景気の好循環を生んでいるため」との説明でしたが、物価上昇の要因は、世界的な資源高の影響であり、好景気や需要高に支えられたものではなさそうなのが庶民の肌感としてもあったのではないでしょうか。

賃金も上昇しているとはいえ、実質賃金でみると統計上はマイナス状態が続いていることから、生活実感としては好循環という表現はピンとこないというのが正直なところかと思います。つまり現状で多くの労働者は賃金上昇をまだ実感していない人が大半だという状況といえます。

有効求人倍率

中小企業においては、大企業の賃上げに追随して賃上げしないと人材を採用したくてもできないという状態が続いているのが実情です。それを裏付けるのが、有効求人倍率の推移です。コロナの影響で一時的には大幅に落ち込みましたが、2023年頃から急激に回復に転じ、最近は若干落ち着いてきたものの、建設、宿泊、運送、飲食サービス業などの業界では、有効求人倍率が6倍や7倍というところも珍しくありません。


中小企業では実質的には人手不足が賃金を押し上げているのが実態でしょう。この人手不足の状況が今後どうなるかについてですが、構造的にみて解消する見込みはほぼありません。

内閣府の人口推計によると、オレンジ色のボリュームゾーンである15歳から64歳の人口は今後も減少し、総人口も減少していくことがほぼ確実だからです。

最低賃金の上昇と社会保険の適用拡大

最低賃金の急速な上昇

次は最低賃金についてです。2019年頃までは年25円前後の上昇でしたが、2021年以降は急激に上がり、昨年は加重平均で初めて1,000円を超え、引き上げ率も過去最高の4.5%となったことで話題となりました。政府は、2030年半ばまでに最低賃金を全国平均で1,500円まで引き上げる計画を発表しました。しかし、先進国では最低賃金1,500円以上は当たり前であるため、2030年を待たずに前倒しで1,500円に達する可能性もあります。いずれにせよ、今後も最低賃金は右肩上がりで上昇し続けると予想され、毎年40円、もしくは3%から4%程度の上昇がつづくことが見込まれます。
企業の人件費コストを引き上げる要因は賃金だけではありません。社会保険の動向にも注意が必要です。

社会保険の適用拡大

賃上げだけでなく、社会保険料負担も企業経営にとって大きな影響をあたえます。現在、企業者が加入する社会保険は、週の所定労働時間が30時間以上の場合に加入が必要ですが、2016年から段階的に適用基準が拡大されています。一定の要件を満たす場合には、週30時間未満のパートやアルバイトでも社会保険の加入が必要です。現在は従業員数が101人以上の会社に適用されていますが、2024年の10月からは従業員数が51人以上の会社でも週20時間以上働くパートやアルバイトが対象となります。加入対象者は、週20時間以上で、2ヶ月を超える雇用見込みがあり、月額8.8万円以上の収入がある人です。

引用:第4回社会保障審議会年金部会資料

さらに、国は今後このハードルを下げていくことも検討されており、将来的には、週20時間以上働くパート・アルバイトも含めて社会保険の加入が義務化されることが確実視されています。その結果、賃金が上がることに加え、パート・アルバイトに対しても賃金の15%ほどを企業がコスト負担しなければならず、人件費コストがさらに上がることが予想されます。

人件費コスト上昇への対応策

中小企業が今後も続くと思われる賃金上昇にどう対応すべきかについては、様々な考えがあると思いますが、企業存続を前提とした現実的な対策案をいくつか挙げてみます。

値上げ

まず1つ目は単純ですが値上げです。
人件費の上昇負担を企業がただそのまま吸収し続けるのは難しく、当然ながら放置すれば利益率が下がり企業の存続が危ぶまれます。健全な財務状態を保つには、値上げを行うことで、人件費上昇分のコストを補う必要があります。現在の状況では、競合他社も同様に値上げする可能性が高く、市場全体で価格が上がることが予想されます。適切なタイミングで値上げを行うことで、他社との競争力を維持しながら、賃上げによるコスト増をある程度吸収することができます。

値上げを実施する際は、顧客に対して合理的な説明が必要なのは言うまでもありません。なぜ値上げが必要なのか、その理由を明確に伝え、顧客の理解を得ることが大切です。また、競合他社の動きを注視し、値上げが市場全体に及ぼす影響についても慎重に評価する必要があります。例えば、段階的に値上げを実施したり、小刻みに価格を上げることで、顧客の反発を最小限に抑えつつ、企業の収益を徐々に向上させることができます。

差別化と高付加価値化

値上げとも密接に関連しますが、価格だけで選ばれないようにするためには、差別化や高付加価値化が必要です。提供する製品やサービスの価値を再評価し、品質向上や付加価値の追加など、顧客にとってのメリットを強調することで、値上げを正当化しやすくなります。例えば、製品の改良や新たなサービスの提供を通じて、顧客にさらなる価値を提供することができます。ただし、これを実現するためには、社員教育によるスキルアップ、リスキリングが不可欠となります。

海外進出

「脱日本」という考え方もあります。日本は少子超高齢社会においては世界のトップランナーとなってしまっています。今後も人口減少が進行すれば、日本市場だけでの持続的な成長は難しい状況となっています。日本の高品質な製品やサービスは、すでに海外市場で一定の評価を得ていますし、現在は円安の影響もあり、物やサービス、ノウハウを海外に輸出することでチャンスを得やすい状況です。海外市場に進出することで、新たな顧客層を獲得でき、売上の増加が期待できます。とはいえ、各国には独自の文化や商慣習、法規制があります。進出先の市場を調査し、現地のビジネス環境を理解する必要があることはいうまでもありません。また海外進出にはリスクも伴います。為替リスクや政治的リスク、経済状況の変動などを考慮し、リスク管理策を講じることが必要です。海外進出については、国の外郭団体であるJETROのJAPAN MALL事業等の公的支援サービス利用することで、低コスト・低リスクで海外への販路拡大支援が受けられます。

省力化

人口減少が進むなかで省力化は最も重要な対策といえるかもしれません。人手をかけずに業務が回る状態を作るために、自動化システムの導入はどの業種においても検討の必要があるでしょう。例えば、飲食サービス業ではセルフサービスが増えており、過剰なサービスをやめて、お客さんができることはお客さんにやってもらうという方法があります。スーパーやコンビニ等のセルフレジやキャッシュレス決済、飲食店のタブレットでのセルフオーダーなどがその例です。自動化システムの導入により、長期的に見て運営コストを大幅に削減できます。

自動化により従業員の負担が軽減され職場環境自体が改善される効果もあります。これにより、従業員はより価値の高い業務に集中することができ、それが仕事の満足度を上げる可能性もあります。セルフサービスの導入は顧客にとっても利便性が高く、満足度の向上につながります。じっさい私自身、最近のスーパーでは思い買い物カゴを手に持って、レジ待ちの長い列に並んでジッと堪える時間が減って買い物が快適になったという実感があります。

とはいえ、自動化システムの導入には初期投資が必要です。短期的にはコストが増加することを見込んで計画を立て、長期的なコスト削減効果を考慮して導入を進める必要があります。
また、新しいシステムを導入する際には、従業員への教育が欠かせません。適切な教育やマニュアル化を行い、システムをスムーズに運用できるように準備を整えることも必要になります。
省力化は賃金上昇という現実に対応するための有効な手段の一つですので検討していきましょう。
なお、こうした省力化投資に活用できる助成金については後述します。

外注化(アウトソーシング)

外注化も有効な手段です。特に労働時間と成果が結びつきにくい業種では、雇用を業務委託に切り替える流れが加速する可能性があります。フリーランス人口は増加しており、総務省の調査では現在労働力人口の約3%程度ですが、今後も増加が見込まれます。

外注化のメリットは、人材の採用や教育訓練、社会保障を含む福利厚生費を大幅に削減できる点です。
次に、外注は成果に応じた対価の支払いとなるため、労働時間に関係なく、1件いくらや成果に応じた対価を支払うことで、必要な部分にのみコストをかけることが可能です。これにより、無駄な支出を抑え、コスト効率を高めることができます。一方で、外注化にはいくつかの留意点があります。まず、自社にノウハウが残りにくい点が挙げられます。外注先に業務を委託すると、専門的な知識やスキルが自社に蓄積されにくくなります。また、場合によっては雇用よりもコストがかかる可能性があるため、外注先の選定や契約内容については慎重な判断が求められます。
さらに、今後はフリーランス新法等、新たな法律による規制強化にも対応する必要があります。規制が厳しくなることで、外注化の流れが一層加速する可能性がありますが、それに伴う法的リスクにも目を向けることが重要です。

国の支援制度を活用する

中小企業が賃上げに対応するためには、すぐにできることと時間がかかることがあります。また医療、福祉、介護業のように国の方針で収益モデルが規定され、自助努力だけでは構造的に対策が難しい業種もあります。そのため、国の支援策を活用するのも効果的です。
ということで次は、賃上げに活用できる国の助成金制度について紹介します。

賃上げに使える助成金

賃上げに対する国の支援策はまだ不十分な点が多いですが、厚生労働省は賃上げを後押しする助成金をいくつか用意しています。今回は、そのうちのキャリアアップ助成金の賃金規定等改定コースと、業務改善助成金について説明します。

キャリアアップ助成金:賃金規定等改定コース

助成金の概要

パートや有期雇用労働者に適用される就業規則に賃金表を設け、その賃金表を3%以上昇給させることで受給できる助成金です。この助成金は一律に引き上げるベースアップを対象としています。引き上げる賃金率によって助成額が異なります。

対象者

この助成金の対象は、パートや有期雇用の契約社員です。(正社員は対象となりません。)

助成額

改定後の賃金引き上げ率が

  1. 3%以上5%未満の場合、中小企業では1人あたり5万円
  2. 5%以上の場合、6万5000円

となります。さらに、職務評価を行うことで1企業につき1回だけ20万円が加算されます。

助成金申請の流れ

助成金申請までの流れを簡潔にご説明します。

  1. パート・有期労働者等の基本給を時給に換算します
  2. 金額の多い順に一覧表を作成します
  3. すべての等級の時給が3%以上増額となるように改定し、実際に改定後の時給で給与を支給します
  4. 増額後の時給で6か月分の給与を支給した翌日から2か月以内に支給申請します

業務改善助成金

もう一つの助成金が業務改善助成金です。

助成金の概要

こちらは、事業所内で最も低い賃金(例えばパートの時給が1,000円の場合)を30円引き上げて1,030円にしたうえで、生産性を上げるための設備投資を行う場合に、その設備投資費用の一部を助成する制度です。

対象となる事業者

例えば、2024年3月現在、福岡の地域別最低賃金は941円です。この最低賃金との差額が50円以下、つまり991円以下の賃金を支払っている企業が助成金の対象となります。そのため時給1,000円以上のパートさんしかいない場合は対象外となりますが、991円以下の労働者の賃金を30円以上引き上げた場合に適用されます。

対象となる設備投資

対象となる設備投資には、業務効率を向上させる設備、例えば、POSレジや顧客管理システムはもちろん、二層式洗濯機を乾燥機付きの全自動洗濯機に変更するなど、生産性向上に寄与するものが幅広く導入可能です。ただし、パソコン、タブレット、スマートフォン、車などの汎用品は原則として対象外です。

助成額

引き上げる賃金額と対象者数によって支給額は変わります。例えば、30円コースで1人の労働者を引き上げる場合は30万円が支給され、事業場規模が30人未満の会社では60万円に引き上がります。最低賃金が低い地域では助成率がさらに引き上げられる予定です。

まとめ

今回は賃上げについて解説しました。大企業を中心に今年は賃上げが急速に進んでいますが、その理由は景気や業績の良さではなく、求人難や人手不足によるものが多いです。特に中小企業はその傾向が顕著です。賃上げをするか、もしくは賃上げ以外の方法でコストアップに対応するかは各企業の経営判断に委ねられます。急激な環境変化に対応するためには、複数の方法を組み合わせた柔軟な発想が必要です。
国の補助金や助成金といった支援策も活用しながら、省力化投資、戦略的値上げ、高付加価値化、販路の変更、拡大、外注化など、過去のやり方にとらわれない複合的な対応策を講じていく必要がありそうです。

解説動画はこちら